なぜあなたの知的生産はうまくいかないのか……京大式カードとKJ法から考える

[投稿日] 2021-10-30


人のことはいえないのですが(´・ω・`)

私は仕事の移動中に時間ができたときなどのヒマ潰しはもっぱら書店を訪ねています。新聞や雑誌の書評でチェックしていた本を手にとってみたり、実用書・自己啓発書の流行をつかんだり、イイ気分転換です。

多少の波はあるものの、メモ術・ノート術や知的生産・発想法に関するジャンルは新しいテクニックを紹介する本がつぎつぎに出てきます。それだけ売れる=関心が高いジャンルなんだろな、と思う反面、「試してみたけど期待した成果が得られない」といろんなテクニックに乗り換えている人が多いのかな、とも思います。

コレってアレの二番煎じだよね?という薄っぺらいヤツはともかく、実績・定評のある技法を使っているのになぜうまくいかないのか?

日本生まれ、そして王道かつ定番ともいえるであろう京大式カードとKJ法を例にして理由を探ってみましょう。

京大式カードとKJ法は民俗学・文化人類学のフィールドワークから生まれた

京大式カードは民俗学者の梅棹忠夫氏が、KJ法は文化人類学者の川喜田二郎氏が編み出したツール・技法であり、それぞれの著作『知的生産の技術』と『発想法』『続・発想法』で紹介されたことで拡がりました。

単なるテクニック本ではなく「考え方」にも重きを置いた内容です。その道筋で1960年代にすでにプログラミング(梅棹氏)や情報処理(川喜田氏)の教育の必要性にまで言及していた先見性には驚くばかりです。




やはり原典は大切ですよ。まとめサイトや人のブログ(ココもだけど)を読むだけではいけません。

両氏は同じ年に生まれ、京都帝国大学に進学。日本の霊長類学の草分けであり文化人類学者でもある今西錦司氏から、ともに登山隊を組むなどの活動を通じて薫陶を受けていたようです。

その分野に興味がある人にとっては目も眩むような人間模様ですな。大河はムリでも新春スペシャルや深夜枠でドラマ化してほしい。

さて、知的生産あるいは発想法ということばからイメージされる姿とは異なり、梅棹氏も川喜田氏も「書斎の人」ではまったくありません。

民俗学者・文化人類学者なんだから当たり前ですね。どちらも「フィールドワーク」なくして成り立たない学問です。

ヒントはこのあたりにありそうです。

フィールドワーク、そしてツールや技法によってどんなプロセスでなにが得られるのか

研究の対象となる地域や人々のもとへ出向き、気候風土、動植物、神話や伝承、生活習慣、人間関係……といったことを観察し、採集し、聞き取り、記録する。そうやって得た材料を整理して、分類して、組み合わせて、相互のつながりを見出して仮説を立てる。

詳細は原典を読んでいただくとして、京大式カードもKJ法も、フィールドワークで得たバラバラで膨大な量の情報を、できるだけ細分化して残し、それ以降の研究活動での利用に耐える形で整理・分類するという必要性から編み出されたものといえるでしょう。

京大式カードにおける「1枚のカードに1つの情報」と同様に、KJ法でも情報を小さな単位に断片化することが第一歩とされています。


その断片を机上に広げて俯瞰し、並べ替えたり、関係がありそうなものを束ねたり……と、断片をまとめていく中で相互のつながりを見出し、それをストーリーとして提示できる形に表わす。

ざっくりいえばこれがプロセスであり、表わされたストーリーが知的生産の成果物になります。

こんな風に誕生の背景から辿るとわかります。成果を得るにはそれ相応の材料が必要、ということが。

多少乱暴にいえば「より多くの(または質が高い)断片を持ち」「より多くの(同)新しいつながりを見出す」ことが「より多くの(同)成果を得る」ことにつながります。

おそらくここでつまづく人が多いのだと思います。うまくいかないのはツール・技法やその習熟度のせいでなく、求める成果に対してそもそも材料の量や質が不十分な可能性が高い。

京大式カードもKJ法も材料が足りない(あるいはない)ところからほしいものを生み出してくれる打ち出の小槌ではないということです。

そこはサラッと流してツール・技法だけつぎつぎに売り出す業界……最近はやたらアウトプットを煽るヤツが多いような……もどうかな、と思わんでもない、ような気がする、かもしれない(弱気

中高年ならではの工夫も加えた、材料の量・質を高めるための仕掛けが必要

ここは主に過去記事の紹介です。

私はいま自分がやりくりしている仕掛けが気に入っているので、京大式カードもKJ法も使っていません。

アラフィフでも物忘れに負けず知的生産を続けるために
無印iPadとdマガジンで中高年ビジネスマンのインプットを効率化&雑談力アップ!
コーネル式測量野帳で朝のジャーナリングを習慣化したら心が穏やかになってアウトプットもスムーズに
手帳やノートの使い方に合わせて試行錯誤、やっと落ち着いた筆記用具のラインアップ(多少の物欲もあり)

でもこれらから学ぶものはとても多いです。

材料を集めること、記録する・残すこと、小さい単位に形を整えること、それらのつながりから新しいアイデアを生み出すこと。

このフローが再現できれば(望む成果が得られれば)ツール・技法は自分が気に入ったものでイイ。

中高年の場合は気になったこと・思いついたことを逃さずその場でつかまえる仕掛けも。

ローランドさんとabrAsusがコラボした「ミニマリスト財布」は中高年の物忘れ対策・知的生産のツールの最適解かもしれない

この投稿も最近『知的生産の技術』と『発想法』を読みなおしながら気になったところをその場でロディアにメモし、情報カードにまとめなおした材料が基盤になっています。5×3の情報カードで10枚ほどです。

そもそもツール・技法が必要なのかという振り返りも大切

一緒に働くチームで採用することになった、会社の研修のコースに入っていた、という場合でもなければ、多くの人はなんらかの動機によって……たいていは課題や問題を抱えたとき……自発的にこうしたツールや技法を試そう・学ぼうと思うはずです。

でも上述したようなフローを考えれば、ツール・技法にコストや時間をかける前に材料集めに取り組もう、という選択肢が見えてきます。

あくまでも私個人の経験ですが、材料集め(現場に出向いたり、仕事に関係する本や業界紙を読んだり、経験者・同業者の話を聞いたり)の段階でアイデアを思いついたり問題解決の糸口が見えることはとても多いです。

もちろんその材料を記録する・まとめる道具は必要ですが、このレベルならコンビニで売っているノートやスマートホンのボイスレコーダー、ふだん使っているPC・タブレットなどで賄えるでしょう。

先に道具を用意したのに「おっと、この問題はこの道具じゃダメっぽい」、といったことも防げますし。



さらに、自戒を込めていいますが、自分が弱っている・うまくいっていないとき、原因にアプローチせずにツールや技法を求める(モチベーションを上げるにはイイんだけどな)こともまた「知的生産がうまくいかない」理由なのだと思います。

川喜田二郎氏は『発想法』『続・発想法』で「探検」の重要性に繰り返し触れています。個人的な問題についてはそれをはっきり提起するためには自分の頭の中を探る「内部探検」が必要であると説いており、とても重要であるにもかかわらず「特に技術らしい技術もいらないようにみえ、自分の頭の中で多少努力すればそれくらいのことはいわれなくてもわかると、たかをくくっているからであろう」(中公新書『発想法』2018年4月15日改版再版、P.30)と嘆いています。

耳が痛ぇ。

そして「内部探検」の最大の功徳は「(探検のあとの)努力目標がはっきりし、問題解決に向かって注意力が集中することである」(同)と続けています。

さらにはKJ法の研修方法の改善補強の方向として「フィールドワークを中心とする取材訓練コースの開発」を挙げており、「よい材料を買い出ししてこなければ、そのあといかに包丁の腕をふるっても料理の質に限度があるのと同じである」(同、P.227)と記しています。

あくまでもフィールドワーク=材料集めありきなんですね。

悩める中高年の知的生産のヒントになれば。