もっとことばを。演説、そして速読、要約・まとめサイト

[投稿日] 2022-04-23
[更新日] 2022-04-22


いろんなところでことばが足りてないな、と思う常日頃。

文化的・歴史的な背景が違うのでしょうが、海外、とくに欧米では政治家、組織のトップ・責任者の皆さんなどなど折に触れ演説やSNSで世間に広く語りかけている印象があります。

他方、この国では偉い人が「発信力がない」と批判されるわりに、ガンガン演説したりメディアに出たり、という人もあまりいません。

やったらやったで「目立ちたがり」とか「独○者を連想させる」ていわれたり、重箱の隅ツツくような揚げ足取りとかされるから、本人もブレーンも面倒臭いのかもしれません。選挙制度の問題もあるんだろうし。

でもやっぱり、政治に限らず偉い人たちからの情報はイマイチ届いてこんな、という印象が否めない。

ことば足らずが混乱や不安、誤った判断を呼ぶ

たとえば新型コロナウイルス感染症についての医学的・科学的な知見、また私たちが取るべき行動やその根拠、医療機関や国・自治体として私たちになにを求めて、なにを強いなければいけないのか……などなど、振り返れば大半はメディアで編集済みの情報だったような気がします。

さらにはそのメディアの立ち位置に沿ったコメンテーターの解釈つきだったりね。

いま起きている世界情勢についても、国としての価値観や果たすべき役割、それを満たすために国民が負うことになる負担など、首長がなんならゴールデンタイムの生放送(編集・加工できない状態)で直接語りかけたらいいと思うんだ。

メディアや私たちはそれを受けて議論なり批判なりするべきであって、あらかじめ取捨選択された情報では混乱や不安が増すだけ……というか混乱や不安を覚えるならまだマトモで、加工済み(ここでは「偏向」とまではいわない)の情報で「わかったつもり」になるのが怖い。

これ↓はそうした状況に対する自衛手段でもあるかな。自分で「ことば足らず」を補って判断材料を増やさないと、という危機感はある。

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しばらく前に「恣意的な編集で印象操作」と政府側から批判された局があったりして(それはそれで「弾圧」とか騒いだ皆さんもおられたようなf^_^;)、多少は改善されたのかもしれませんが、そもそも「直接語りかける」という機会が増えないかぎり根本的には変わらないのでは。

国会中継とか記者会見とかネットの配信でも観たら?といわれても、そうする時間がない人がほとんどでしょう。なので、まずは多くの人が触れられる形で直接語る機会を増やすこと、そしてできるだけ偏りがないように要約された情報がメディアによって提供されたらいいな、と……そんなに難しいことなんかな。

責任の所在とか(面倒臭くなってきたので以下略

速読、要約・まとめサイトは「それで得られること」を意識して使う

強引な展開ではありますが、私は速読や要約・まとめサイトも使い方を間違うと「ことば足らず」で用をなさないことになるのでは、と思っています。まあ、個人的な欲求・目的を満たすためのものなので、恣意的とか偏りとか気にしなくていい話ではありますが。

結論からいってしまえば、それらは「自分が必要だと思った部分の拾い読み・飛ばし読み」と割り切るべきだろう、ということです。速読はそれを自分でやって、要約・まとめサイトは人にしてもらったのを利用するものです。

長けた人はもちろんそんなことはわかっていて、目的に合わせて読み方を変えているのだと思います。



速読法の多くは「本の中身が全部アタマに入る」とはいっていません。むしろ「必要な情報を得るためにはすべてを読む必要はない」というスタンスです。「最初に全体に眼をとおす」「その本が自分の目的に合っているか判断する(合っていなければ読まない)」というプロセスを設けていることからも「目星をつけて役に立ちそうなところだけ読む」ことが速読の本質であることがわかります。

速読を巡ってはいろいろと「できる/できない」の諸説がありますが、この方法であれば私は「速読は可能」だと思います。

そういう私もこれまで2種類の速読法について市販の書籍で学び、試行錯誤して上述した結論に達したあと、金曜日の夜に入手したとある団体のA4判400ページの事業報告書を土日で1回ずつ「速読」し、月曜日の午前中にその要約を元にした企画書を仕上げて午後のプレゼンに臨んだという経験があります(成功しました(・∀・)

「本が丸ごと楽して短時間にアタマに入る」という誤解を抱く(そして挫折して「速読否定派」になる)人が時おり見られるのは残念に思います。同じように、要約・まとめサイトで自分が知りたい部分が載ってないからと「役に立たない」というのもずいぶんな話だな、と思います。

省かれた部分に固執するかぎり、それらは「ことば足らず」なツールにしかなりえないでしょう。もっとも、ツールを売る側のことば足らず(説明不足、というかぶっちゃけ誇大広告)のせいもありますけど。

「速読でできること」を自分なりに理解する上で、この2冊はたいへん役に立ちました。具体的な技法やトレーニングについての部分ではなく、考え方に関する部分を「速読せずにじっくり読む」といいです。


より大きな成果のための糸口として使えば極めて有効

さて、繰り返しになりますが、速読や要約・まとめサイトは「たくさんの情報の中からそのときどきの目的に合ったものを効率的に抽出するツールとして割り切って使うべき」というのが私の考えです。

見方を変えれば、それで得られるのはあくまでも当面必要とする部分的なものであって、幅広く包括的な知識を得るためにはまた違う努力が必要だと思っている、ということでもあります。

必要に迫られて速読を行なう例として、あらかじめ大量のテキストを読んでおかないと講義についていけないというアメリカの大学の話を聞きますが、それはディスカッションが中心の講義に参加するための最低ラインの知識を得るためであって、事前に講義の内容を全部アタマに入れておけ、という乱暴な話ではありません。学びを深めるのはあくまでも講義をとおしてです。



これもよく出てくる話ですけど、小説や詩集・句集を楽しむ……ストーリー展開やセリフ、文体やことばのリズムを味わう……ためには向きません。

また、過去問や合格のノウハウが出揃っている難度が低い資格ならともかく、速読だけで難関資格を取得するのは極めて難しいだろうな、と思います。直観像(文書なども見たまま映像で記憶する)の能力をお持ちであれば別ですが。

まずは人に話せる・ディスカッションできるくらいの概要や予備知識を得るための極めて有効なツールとして活用しながら、それを糸口として効率的に学びや楽しみを深めていく、というのが情報まみれの現代の私たちが速読や要約・まとめサイトを使う意義かな、と思います。

今年ももうゴールデンウィーク、新しいことに取り組むチャンスです。ご興味のある方はまずは「割り切って」かじってみてはいかがでしょう。