[投稿日] 2016-10-11
[更新日] 2019-10-22
いろいろと無理が利かなくなりますね、歳を取ると。
私の場合、体力の衰えや体型の変化を感じはじめたのは35歳のころでした。それから以降15年、自分に対する危機感もあってトレーニングや瞑想など続けてきているわけです。
そのあたりの経緯はこちらに。
節目は2つやってきた
いまのところお腹は出てません
中高年の筋トレに
それでもやはり変化が止まらないのは仕方がありません。40代に入ってからのトレーニングや瞑想はそうした変化を受け止めるために取り組んでいるようにも思います。
さて、冒頭で「無理が利かなくなりますね」と書きました。
疲れる。食べすぎると翌朝まで胃がもたれる。以前より少ない量でも二日酔いになる。そのほかアレコレ。正直、40代の前半はそうした自分に戸惑う日々でした。
それでもトレーニングや瞑想を続ける中、それが自分を知り、自分と向き合うことになったんでしょう、40代半ばを過ぎてやっと思い至りました。
無理は無理っス。
若いころ平気だったのは「無理してた」んであって、どこかに寄ってたはずの悪いシワに気づかずにいただけ。若さの「誤魔化し力」ってスゲぇ。
これは「無理が利かなくなる」んじゃなくて、「これ以上は無理だから」という自分の声が聞こえる「わかりやすい体になった」ということだわ、と。
若いころの無理は社会的・経済的な仕組みとして排除できないところがあります(良し悪しの議論は置いといて)。そりゃー誰しも無理しないで生きてこられるのが一番だけど、自ら進んで無理をするのも若気だったりするわけで。
そうした経験のあと、体が「無理っス」という時期が訪れることと、それがちゃんとキャッチできるというのは、個体の保存欲求レベルで当たり前なのかもしれん。
こう思うようになってから、自分の衰えや老いにずいぶん寛容になりました。「諦めた」ということではありません。無理せずに届くいまの自分のベストはどこか、若いころと比べてヘコんだりせずに、ちゃんと計れるようになった、ということです。
「ジジイの言い訳」「単なる言葉の使い分け」といわれればそれまでだけど、実際、オレは心身ともに楽になったからなー。お悩みの方、ちょっと、考え方を変えてみては。