タロットデッキ+KJ法を問題解決や知的生産のツールとして使う

[投稿日] 2021-12-18
[更新日] 2021-12-17


個人的な趣味でタロットデッキについての勉強を続けています。もう30年ちかいかな、ライダースの革ジャンに続いてこれまた長い。

占いに使うことはほとんどありません。友人に頼まれて3〜5年に1回、くらいなもんです。

じゃあなにをしているのかというと、学生のときの専攻で少し図象学的なことに触れて興味を持ったので、各カードに描かれているシンボルや構図についてコツコツ研究したり。

あとは問題解決や知的生産、アタマの整理のツールとして、です。

タロットデッキは人が実生活で出会うできごとを要素化したもの

私が使っているデッキはごくごくありふれたライダー・ウェイト版のもので、サイズはいくつか持っていますが日常で使っているのはトランプ大の小振りなものです。


なじみのない方々には「なにがなにやら」という話だと思いますが、数多くあるデッキのデザイン中でも「カードがすべて絵札になっている」ものの元祖のような位置づけのデッキです。

棒だのカップだの並んでる大昔のトランプの数札みたいな意味がわからんヤツ(マルセイユ版)でなく、数札にあたるカードもできごとを描いた絵札になっているヤツですね。

占うには人物・事物の位置や使われている色、構図についての知識が必要……それを調べるのが面白いんだけれども……ですが、絵札ゆえに見た目からカードの意味を推測することもできます。

私たちが人生で経験するできごとを78枚のカードで表現している、と思っていただければわかりやすいでしょう。

タロットのシャッフル・スプレッド・リーディングをKJ法のプロセスだと考える

察しのイイ方はもう気づかれたと思います。タロットカードを情報カードとみなして問題解決や知的生産に役立てよう、というお話です。

この先、タロットリーディング(いわゆるタロット占い)についての記述が出てきますが、あくまでも私が学んだこと、私が行なっている技法によるものです。使い方・占い方は人それぞれ、ほかの方法を否定する意図はまったくありませんので、念のため。

タロットリーディングを行なう際、最初にシャッフル(カードを混ぜる・切る)しますが、これは問題がある・解決策が思いつかない状況=「混沌」を表現していると考えます。

そこからスプレッド……セブンカードとかケルト十字法とか聞いたことある方もおられるかと……に展開することで混沌に「秩序」を与え、個々のカードの意味やそれらの関係が示すストーリーを読んでいきます。

KJ法は「混沌をして語らしめて秩序を生む」プロセスであると『発想法』(中公新書 2018年4月15改版再版 P.220)に書かれていますが、タロットリーディングをそれに見立てているわけです。

視野を広げ思考の選択肢を増やすためのツールとして

それによってなにが得られるのか?

課題や問題、また悩みを抱えているとき、私たちは目の前のことの囚われて視野が狭くなりがちで、状況を俯瞰したり敢えて問題から離れてみたり、ということがなかなかできません。

そんなとき、タロットデッキを使うこの方法は「自分で選んだのではない、シャッフルして出てきたカード」という「偶然」が、自分が見落としている要素(人・物・場所やそれぞれの関係などなど)の存在に気づかせてくれます。

それが行動・判断のための新しい材料になる、また物事を見る角度を変えるきっかけになる……とブレイクスルーにつながります。

ただカードを繰りながら考えごとをするだけでも効果がある、と思います。私も週末に必ずそのための時間を設けていて、見慣れたはずのデッキの絵柄にいまでも発見がありますし、そこから新しい気づきを得ることも多いです。

こうした使い方であれば必ずしも個々のカードの意味を記憶しなくても大丈夫。カードに描かれている物事をそのまま受け取ればいいので(ライダー・ウェイト版のような絵札で構成されてるデッキじゃなきゃダメですが)。

宗教的・神話的背景などより深い知識は興味が湧いてから学べはいいと思います。

タロットデッキを占い以外に使うことは実は珍しいことではありません。瞑想の道具にしたり、カードを使ってストーリーを組み立てる心理療法の例もあります。

私が大好きな小説『ハッカーの報酬』(ジョン・サンドフォード、新潮文庫)ではまさに発想や検証のためにタロットを使う主人公が、カードから得た思いつきをもとに胸のすくような結末を見せてくれます。

このあたり読んでいただけるとよくわかるんですが、いずれも絶版なのが残念(古書を見かけたらぜひ購入を)。



『ハッカーの報酬』は未訳の続編もあるから復刊・シリーズ化してほしいなー。

占い師っぽいことも書いておこう

友人に頼まれて行なう「占い」も、相手が抱えていることを事前にできるだけ詳しく聞いてからやっているので、私としては占いというよりもアドバイスに近い感覚です。要は占いも問題解決です。

とはいえやはり、「この状況で出るはずがないカードは絶対出ない」といった不思議な部分もあるにはあります。

私は「解明されていないこと」は率直に「解明されていない」というべきだと思っていて、「解明されていないこと」を「解明されていないことで説明する」在り方や、解明されていることまで「解明されていないことで説明しようとする」ことは似非科学として忌み嫌っています。

ここでも似たようなこと書いてました。

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その上で未解明のものでも人の幸福の役に立つものは自分の責任で「ツールとして」使う。

占い師に会うことや占いの行為そのものはあくまでもツールであって目的になってはいけないし、ましてや神格化など言語道断。占いをオカルトにさせないために必要な姿勢だと自戒を込めて思っています。

私が思う占い師の役割とは、人の未来にトラブルがあるならそれを回避するために、回避できないならばダメージを最小限にするために、自分にできる限りの助言をすることなのです。そもそも人は幸せなときはあまり占い師を必要としないもんで。

この投稿を読んでタロットに興味を持ち、日常のツールとして使う人が増えたらとても嬉しい。

でもアッチ側には行かないでくださいね。