コロナ禍の下で迎える2回目の秋に改めて自分と世界を考えるためのオススメ本

[投稿日] 2021-09-04

緊急事態宣言下でこの投稿を書いています。

場帳を読み直すとはじめて株価に「肺炎」が影響したことが書かれているのが2020年1月22日でした。以来2回目の秋までこんなことになっているとは夢想だにしませんでした。

不便な生活が続くものの、できれば前向いて生きていきたい。誤った判断・行動をしないで、アヤシい情報に惑わされることもなく、また安心して酒場で楽しめる日を待ちたい。

ということで、今回はお籠りの「読書の秋」に改めてコロナ禍を考えるために、管理人オススメの本をご紹介します。

死に至る病に取り囲まれたとき、人はなにを考えどう振る舞うのかを追体験する

カミュ『ペスト』
尾崎世界観、町田康ほか『仕事本』

『ペスト』についてはもうここでなにをいうこともないと思うのですが、やはりオススメしたい本の上位に入ります。大学生のころに読み、好きすぎて社会科学概論の試験でこの作品を題材にした小論文を書きました。イイ思い出です。


コミカライズもされましたし、『100分で名著』のような解説本もありますので、まだお読みでない方はこの機会にゼヒ。



登場する人々のことばや行動とその帰結、それらが紡ぐ群像のあり方など、いまこのコロナ禍にダイレクトに置き換えて考えられることが多い作品です(明確な答えがあるわけではありません)。

2021年には岩波文庫から新訳が刊行されました。これは決して「この機に乗じて」というものではなく、7年ほど前から進めていた企画だそうです。偶然とはいえ、改めてこの作品の存在意義を感じます。


『仕事本』は2020年4月の緊急事態宣言下で、さまざまな職業の方から日記という形で募った日々の記述をまとめたものです。私は刊行後わりと早めに読んだのですが、そのときは話の生々しさ(怯えている人たちも、呑気な人たちも)に時折怯んだ記憶があります。


この投稿のためにザッと読み直して、リモートワークや外出自粛、営業制限などで「世界が狭くなっている」ことに慣れてしまった自分に気がつきました。

単に自分が触れる機会が減ったというだけで、いまでも変わらずこの本に登場するような人たちがそれぞれの場所で働いて生きているわけで。

自分の無自覚な言葉や行動が周囲に恐れや重圧を与えていないか、批判するようなことになっていないか、振り返るきっかけになりました。

財産、自由と尊厳、そして命を理不尽に奪われる世界で人はなぜ生き延び、どう語り継いだのかを考える

V. E. フランクル『夜と霧』
プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』

『夜と霧』は実は『ペスト』以上に「いま読まなきゃ」と思った本でした。理由は小見出しのとおりです。


新版が出たのを機に読んで、このコロナ禍で読み直したあと『溺れるものと救われるもの』を新たに読みました。どちらも著者はナチスドイツの収容所から生還したユダヤ人の方です。


小見出しが「どう生き延び」じゃなくて「なぜ生き延び」なのはなんで?

コツや器用さで自発的に生き延びることなど到底できない熾烈な環境から生還した人々の、その「生き延びた理由」はどこにあるのか。

「How」など意味を持たない状況を脱し、生き延びてなお当時の「Why」を問い続けざるを得ない彼らの経験と歴史の重さを知ることは、自分が置かれた立場や時代に関わらず避けてはいけないことなのだと私は思いました。

『溺れるものと救われるもの』では著者が自身にも極めて厳しい態度を貫いており、読んでいて苦しくなるほどです。

光はどこに? そんなことを切実に考えさせられる2冊です。

ちなみに『溺れるものと救われるもの』に続けてこの本を読みました。番外編としてご紹介。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』


映画化されたのでご存知の方も多いかと。この作品をきっかけに、ナチス戦犯の処遇に関する「現代のドイツ」の法の落とし穴をめぐって政治が動きました。法廷サスペンスやハードボイルドとしても楽しめる作品ですが、問題の根深さを寒気を覚えるほど見せつけられるものでもあります。

現実に起きていることを捉える困難さ・科学的根拠を欠いた言説の危険さから自分と大切な人たちを守る

金森修『病魔という悪の物語』
カール・セーガン『悪霊にさいなまれる世界』

『病魔という悪の物語』は「メアリー」という「チフスの無症状感染者」の女性をめぐるルポルタージュです。


「メアリー」は腸チフスがいまよりもずっと恐ろしい病だった20世紀初頭のアメリカで、感染者と気づかない/気づかれないまま家政婦の仕事を続けて病を広げ、発覚後はバッシングや好奇の眼に晒されるといった扱いを受けることにもなり、最後には離島に長期間隔離されて生涯を終えた実在の女性です。

コロナウイルスの感染が拡大していく中、この国でも感染者や感染地域から訪れる人たちへの差別的言動、いわゆる「自粛警察」の登場、またいたずらに恐怖心を煽るような過剰な(ときに科学的根拠を欠いた)情報の流布といったことがありました……いまもあります。

また、無自覚感染者や「自分は感染しても軽症で済むから」といった一部の若年層の行動による感染拡大についての議論も続いています。

この本は現在進行形であるコロナ禍を客観視して「双方の立場で」考える糸口を与えてくれました(人間て学ばないんだな、とヘコむ側面もあるのだが)。

『悪霊にさいなまれる世界』の著者、カール・セーガン博士はアメリカの天文学者で、いま50代の人たちが中高生だったころに惑星科学や地球外生命について新しいビジョンを発表し、ブームを築いた人です。映画『コンタクト』の原作者でもあります。彼のビジョンにワクワクした人も多いのでは(私がまさにソレ(^_^;ゞ



この本ではUFO目撃談や宗教上の奇跡・魔女裁判といった真偽不明のできごとや盲信・迷信による行動を科学的な説明の可能性を交えながら検証し、デマやニセ科学・陰謀論にとらわれない科学的思考の重要性を繰り返し訴えています。

私たちの心の隙に忍び込んで判断を惑わし、誤った行動へと引きずり込むそれらを「悪霊」と呼び、いかに対処するべきかを科学者として真摯に説いた名著だと思います。

上下巻合わせて800ページ超(ハヤカワ文庫)の大著ですが語り口はとても平易で、出てくる事例の豊富さと相俟って飽きずに読めます。読み進めるうちに、堅苦しい科学アタマになるのではなくむしろ「思考の自由度がアップする」感覚が味わえました。

なぜこうした本を読むのか・オススメするのか

このことばもいつの間にか聞かなくなりましたね。

正しく恐れる。

これを実践するためには、1つの見方に偏らず正確な情報源を探る努力と、それを元にして自分で考えることの繰り返しが必要なのだと思います。

たとえばワクチンを打つか打たないかという選択は、私はあくまでも個人の判断によるべきだと考えています。

でも、その判断は科学的根拠を欠いたデマや陰謀論・ニセ科学に基づくものであってはいけない。推進派であれ反対派であれ、選択が人命や社会的・経済的なリスクに直結している今回のような場合は特に1つ1つの情報の影響が大きいわけで。

ここでオススメする本がすべてではありませんが、少なくとも情報の選択基準や考える土台をつくるためにはかなり有効なのではないかと思っています。



それにしても、信じている人たちは使命感があるんだろうけど、信じてもいないことを面白がって、あるいはバズるから、と拡散してる人たちは「あんたを信じたせいで」と訴えられたらどう責任を取るのだろう?

このコロナ禍でのデマや陰謀論やニセ科学は人類にとって悪い話ばかりで、「超能力が得られる」とか「超自然的存在と会話できる」とか「より高度な生命体に進化する」みたいなイイ話(イイのかな)が聞こえてこないのはなぜだろう?

あるいは、私たちはとっくになにをどう恐れたらいいのかもわからなくなっているのだろうか。

つい最近、知人が「ウチの息子、このままだと中学校の3年間、ずーっとマスクしたままで終わりそうで」と嘆いていました。胸が痛みます。

酒場に焦がれるだけでなく、こうしたことを早く終わらせたい。その一助に。