[投稿日] 2016-09-13
瞑想の効能についてはこれまでもお話ししましたが、今回はちょっと見方を変えた解説を。瞑想の取り組みの進み具合を計る参考にもなるんじゃないかな、というお話です。
自分で「うまく瞑想できるようになったんじゃない?」と感じはじめるころ、仕事に没頭しているとき、ライブで盛り上がっているとき、映画を観たり本を読んだりして感動しているときなど、スッとアタマが覚めるような、自分の心の動きを冷静に自覚している部分ができていることに気づきます。
当初は戸惑って「あれ、オレ、冷めた人間になっちゃったのかな」と思うんですが、そういうわけでもありません。いわゆる「途中で気持ちが萎える」ような冷め方ではなく、ちゃんと集中していて、高揚していて、泣いていながら、それを俯瞰もしている状態です。
強いてたとえるなら、イイ感じでアタマに余白ができている感じです。自分のキャパシティがA4判の紙だとして、それを最大限に使って集中したり盛り上がったり感動したりしている下に、B4判の紙を敷いたような余白ができている、というか。
以前はA4判のフチからこぼれていたイレギュラーなことも、余白にインクがハミ出るので気がつきます。また、A4判の中に書かれていることへの注釈を余白に書き込んだりできます。そういう感覚です。
おそらくこの余白は瞑想の上達度合いに応じて大きくなるもので、いまのところ私はA4判に対してひとまわり大きいB4判くらいに感じていますが、さらにひとまわり大きいA3判になったり、もしかしたら大洋紙くらいまで広げられるかもしれません。この余白の大きさが瞑想で得られる平常心の裏付けになっているようにも思います。
そういえば大洋紙って新潟ローカルな名称でしたね。広くは模造紙・大判紙などと呼ばれている大きな白いのことです。
余白が無限に広がるかどうかはわかりません。日々フルスロットルで生きながら、それを無限の広さから俯瞰するというのは、すなわち「悟りを開く」ことだと思うので。たぶんオレには無理だな(-_-)
|
おまけ【あの人の50歳ころ】(敬称略)
ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国の政治家、1918年生まれ):1962年、当時の南アフリカ政府に対する反アパルトヘイト武装闘争により逮捕。1964年、国家反逆罪により終身刑の判決、1990年まで27年間にわたり投獄される。